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<小樽再来・・・まずは寿し>
ニセコ・神仙沼から日暮れた岩内の町に下り、夜の羊蹄国道をひた走りに走った。
この日の宿「オーセントホテル小樽」にたどり着いたのは午後7時5分。

さっそく、寿司屋街から少し外れたところに店を構える「寿し処 ひきめ」に立ち寄った。季節の魚介をつまみに熱燗の日本酒をいただく。アルコールが五臓六腑にしみわたる。
すぐに心地よい酔いが体内をまわりはじめた。二日間の強行軍の疲労がまわりはじめた。
このすし屋さん、残念ながらどうということのない寿司屋だった。ホテルのボーイさんに「あなた方が行くようなカジュアルな寿司屋さんありませんか?」と質したのだが、若いボーイさんはこちらの意を解さないで、一般的な推薦店(なにがしかのホテルとの関係がある)を紹介したものと思われる。小樽の初心者ならそれでよかったのだろうが少し残念・・・。

それにしても久しぶりに新鮮な気持ちで小樽と向かいあった。
北海道赴任時代は仕事でもずいぶん通ったが、時間に追われゆっくりと、特に夜の小樽を見てまわるようなことはなかった。
ふと昔、はじめて小樽を訪ねたときのことが頭をよぎった。1984年かその少し前だったろうか、出張帰りの飛行機を遅らせてあわただしく小樽駅に降り立った。当時の小樽は、ガラス細工や寿司屋通りが雑誌等で紹介され、観光都市として有名になり始めのころだった。駅前でタクシーを捕まえ「2時間で回れるところを駆け足で回ってほしい!」とお願いした。運ちゃんは慣れていて、こちらの思惑通り一通りの観光名所を手際よく回ってくれた。祝津の鰊御殿、旧青山別邸、手宮の鉄道記念公園、山の手の小樽商大の前を通り、天狗山スキー場近くのガラス細工の店に車を停めた。高台から前が開け、遠くに小樽港を望むことができた。
市内に戻って運ちゃんの馴染みの寿司屋さんで落としてもらい、お待ちかねの小樽の寿司を食した。おいしくあらねばならぬ、の精神でいただいた。
その後何十回も小樽に足を運び、今でもその店までの道順は思い出せるが、ずっとご無沙汰しっぱなしである。
これがわたしと小樽のかかわりの原点であり、そしてまた小樽にやってきた。
<ライトアップされた歴史的建造物群>
一旦ホテルに戻り、酔い覚ましに一人で町をぶらつくことにした。小樽駅からまっすぐ下ると
10分も歩けば運河に到達する。運河沿いを右にたどればガラス工芸や民芸小物の店が並ぶ町並みに出る。もちろん夜は閉まっている。
運河の手前に往古をしのばせる建物群が点在し、いずれもライトアップされ、かっこうの被写体となっている。

旧日本銀行小樽支店は日銀本店や赤レンガの東京駅を設計した辰野金吾氏が設計し、明治
45に建築された。(上の左右は夜と昼)

旧三井銀行小樽支店は昭和
2年竹中工務店によって建立。(上写真)
明治45年建築という北海道銀行本店(現在の小樽バイン)も優雅に立っている。

北海道紙商事(旧第
47銀行小樽支店)は、北のウォール街・小樽ならではの銀行建築の一つで、2階建の小規模な行舎だが、正面にトスカナ様式の大円柱を建て、壁面をタイル張りとする昭和初期の典型的な銀行スタイル。

日刊北海道経済新聞社は安田銀行小樽支店として昭和
5年建造、その後富士銀行に引き継がれたが重量感あふれる4本の円柱が特徴。
その他商社や運輸会社、銀行の古い建物群がいずれもライトアップされ暗闇に浮き上がって見える。まだまだあるのだが、そのほとんどは昔の銀行の建物である。これだけでも「北のウォール街」と呼称された理由がわかるというもの。

やがて小樽運河に。晩秋の宵闇のなかに運河は静かにたたずみ鮮やかな光彩を放っている。何十回も訪ねているなかで、はじめてじっくりと夜の運河と対峙した。
中央橋から眺めると、「北日本倉庫港運会社」の文字が鮮明に水面に浮かび上がっている。倉庫・港湾・運輸は、北のウォール街と称されていた時代にもっとも華やかな繁栄を誇った。


それ以降も、運河は小樽の栄枯盛衰をじっと見守ってきた。今でこそあまたの旅人が訪れ、運河は美麗に着飾り、歓迎の礼をとってくれているが、繁栄した時代から一転して落ち込んだ奈落の時代は長かった。
ライトアップされた倉庫群は一言もものを言わないが、「いい時代になったなあ。」と小声でつぶやいているように思えた。
<雨の小樽の朝>

翌朝、目を覚ました午前6時には窓の外に朝焼けが輝いていた。それなのに予想よりはるかに早く雨がやってきた。

朝食を済ませ、朝の散歩に出ようとするとポツリポツリと落ちてきたのだ。宿泊先のオーセントホテルで傘を借り、そぼ降る雨の中、運河沿いに足を延ばした。
浅草橋のたもとで「古い小樽を解説つきでご案内します。」という若い人力車夫に声をかけられたが、いまさらの思いもあり丁寧にお断りした。運河は失恋した少女の涙のように、しとしとと落ちる雨のなかで煙っていた。
古い建物たちはそんな雨の中でも輝いて見えた。

「こんな雨なんて、わたしたちが過ごしてきた疾風怒濤の人生に比べたらどうってことないさ!」まるで人生を知り尽くし、余裕をもって余生を送る先達のように。
「旧百十三銀行」「大正硝子館」「なか一」や、「海臨丸」「万次郎」や「多喜二」のレストランなど歴史がそのまま飛び出してきたかのようであった。

小樽は町の景観をだいじにしている。
土産物を売る店やレストランはもちろん、コンビニすらも大正浪漫を取り入れている。時間をかけてさらに整備され、景観の統一に成功すれば、何年か後はすばらしい町になっているだろうなと楽しい想像をさせてもらった。

雨が止みそうにないので、駅に近い都通商店街を散策した。
小樽一おいしいという「西川のぱんぢゅう」はもう店を開けていた。今川焼きのような中に餡が入った饅頭だが、外皮がパリパリに焼かれ、口に入れたときの食感が抜群だ。餡もアツアツでフーフーいいながら食した。
この日の客はわたしたちが一番、なにとぞ福を招く客であるように・・・。
また、小樽一古い喫茶店「光」は、赤茶けたレンガもどっしりとその風格を見せつけていたが、この時間はまだ開いていない。

榎本武揚の写真を大きく染め抜いたバナーが、アーケードのど真ん中に垂れ下がり、その上部に「都通100年物語」と記載されていた。
100年前小樽に移住し、この町を作った草創期のひとたちの覇気をもらったような気がした。
<続く>
「9 日本海を増毛・留萌へ」
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